リオは写真で想像していた街とはまったく違っていた
リオデジャネイロへ行く前、私はこの街をすでに知っているような気がしていました。キリスト像、シュガーローフ、コパカバーナ、イパネマの写真を何度も見ていたので、頭の中にはすでに完成したイメージがありました。山、海、ビーチ、ヤシの木、そしていつも晴れている空。でも初めてリオの街を歩いた瞬間、写真に写っているのはこの街のほんの一部なのだと気づきました。
リオは想像以上に生き生きしていた
最初に驚いたのは、まったく違う世界が驚くほど近くにあることです。普通の道路を車や人に囲まれて歩いていたと思ったら、数分後には突然、海と巨大な緑の山が目の前に現れます。
私は特にルートを決めずに歩き始めました。まずコパカバーナへ向かいました。写真ではビーチがまるで映画のセットのように見えますが、実際にはそこに独自の生活があります。バレーボールをする人、海沿いを走る人、キオスクで話す人、ただ海を眺めている人。
その後イパネマにも行きました。こちらはさらに穏やかな雰囲気でした。砂浜で話したり、スポーツをしたり、夕日を待ったりする人たち。私は途中から写真を撮るのをやめて、ただ座って眺めていました。

リオはビーチと絵葉書だけの街だと思っていた
もちろん、キリスト像を見ずに帰ることはできません。写真では何百回も見ていた場所です。でも一番印象に残ったのは像そのものではなく、そこへ向かう道と、目の前に街全体が現れる瞬間でした。
上から見るリオはまったく違います。街の間から緑の山が伸び、その向こうには海が見え、都市そのものが自然の中に入り込んでいるように感じられます。
その後シュガーローフにも行きました。美しい景色は予想していましたが、山、海、ビーチ、そして巨大な都市が同時に目の前にある感覚までは想像していませんでした。

一番面白かったのは、観光地を探すのをやめたとき
3日目、私は何も予定を決めないことにしました。ホテルを出て、行きたい方向へ歩いただけです。そのときからリオが一番好きになりました。
小さなカフェ、古い建物、ストリートミュージシャン、仕事帰りに会う人たち、観光ポストカードには決して出てこない普通の通り。街は観光客のための舞台ではなく、人々が本当に生活している場所に見えました。
そこで、なぜリオを写真だけで伝えるのが難しいのか分かりました。キリスト像やコパカバーナ、美しい山の景色だけでは説明できません。自然と都市、そして独特の生活リズムが一緒に存在していることが、この街の魅力なのです。

今なら、なぜリオが忘れられないのか分かる
旅行前は、リオを絵葉書のような完璧な熱帯都市だと思っていました。実際にはもっと騒がしく、複雑で、ときには混沌としていて、そしてずっと面白い街でした。
朝は海を眺め、昼には巨大都市の中を歩き、夜には街の音楽を聞く。そして数分後にはまた建物の間から緑の山が見える。
私の記憶に残ったのは、この組み合わせでした。リオを離れた後、名所のリストを作る気にはなりませんでした。ただもう一度戻って、何時間か目的地を決めずに歩きたくなったのです。

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