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ウィーンのペスト記念柱

ウィーンのペスト記念柱は、三位一体柱とも呼ばれ、オーストリアの首都の歴史地区を代表する記念碑の一つです。グラーベン通りの中央、シュテファン大聖堂の近くに立っています。バロック様式のこの記念碑は、1679年にウィーンを襲った壊滅的なペスト流行と、その終息への感謝を表しています。精巧な彫刻群は、聖三位一体と九つの天使の階級を主題としています。

記念柱の歴史

1679年、ウィーンは歴史上でも特に深刻なペスト流行に見舞われました。病気は急速に広がり、死者の数は市の対応能力を超えました。歴史的な推計では、ウィーン市内だけで約1万2000~1万5000人が死亡したとされていますが、正確な犠牲者数は分かっていません。

皇帝レオポルト1世は、疫病が終息したら聖三位一体をたたえる記念碑を建てると誓いました。同じ年、グラーベン通りに仮設の木製柱が設置されました。流行が収まると、石と大理石を使った恒久的な記念碑の建設が計画されました。工事は数年にわたり、複数の建築家や彫刻家が関わる中で設計も変更されました。

初期の制作には彫刻家ヨハン・フリューヴィルトが関わり、その後、マティアス・ラウフミラー、ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハ、パウル・シュトルーデルらが石造の記念碑に携わりました。新しい柱の礎石は1687年に置かれ、1693年に完成・奉献されました。この記念碑はウィーン・バロックを代表する作品の一つとなりました。

建築と彫刻

ペスト記念柱は、石と大理石で構成された複雑な多層構造の作品です。基壇にはオーストリア、ハンガリー、ボヘミアなど、ハプスブルク家の支配地域に関係する紋章が刻まれています。重厚な台座の上には人物像、雲、天使が重なり、視線を上へと導く動きのある構成になっています。

下部には善と悪の闘いや疫病からの解放を表す寓意的な人物像が配置されています。敗北したペストの象徴と、祈りながらひざまずくレオポルト1世も描かれています。その上には天使と雲が広がり、頂部には聖三位一体が表現されています。宗教的な象徴と、都市の復興における君主の役割を称える表現が組み合わされています。

聖三位一体と九つの天使の階級

記念碑の中心的な主題は、神の加護に対するキリスト教の信仰です。聖母マリアをたたえる記念柱が多いのに対し、ウィーンの柱は聖三位一体に捧げられています。九つの天使の階級は、天上の存在に関する伝統的なキリスト教の階層を表し、ペスト終息への感謝を示しています。

1679年のペスト流行

17世紀には、ペストがヨーロッパ各地の都市を繰り返し襲いました。ウィーンでは1679年の流行が特に人口密度の高い地区に大きな被害をもたらしました。当時の医学知識は限られ、衛生環境も十分ではなく、効果的な治療法はありませんでした。

医師、市の職員、宗教団体、市民が危機への対応に関わりました。記念柱は、疫病の終息を祈りと神の介入の結果と考えた当時の宗教的な世界観を伝えています。現在では、犠牲者の記憶と、社会が大きな悲劇を理解しようとした歴史を伝える存在でもあります。

グラーベン通りの記念柱

グラーベン通りは、ウィーンを代表する歩行者向けの商業通りです。中世にはローマ時代の集落ヴィンドボナに関係する堀の跡に街路が形成され、やがて市場や式典、公共行事が行われる活気ある場所となりました。

記念柱は歴史地区の中心にあるため、街歩きの途中で立ち寄りやすい場所です。近くには聖ペーター教会、シュテファン大聖堂、歴史的な建物や店舗があります。屋外にあるため、いつでも無料で見学できます。日中は彫刻の細部を観察しやすくなります。

アクセス

記念柱はウィーン第1区のグラーベン通りにあります。最寄りの地下鉄駅はU1線とU3線が乗り入れるシュテファンスプラッツ駅で、そこから徒歩数分です。周辺の歴史地区には1Aや2Aのバスも運行しています。

ペスト記念柱は、ウィーン旧市街の散策に組み込みやすい観光スポットです。シュテファン大聖堂、聖ペーター教会、ホーフブルク王宮と合わせて訪れることができます。ウィーンのバロック美術に触れながら、疫病が都市の建築、宗教文化、集合的記憶に与えた影響を知ることができます。

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